うさおぶろぐ

アラフォーサラリーマンがウツ休職から本当の自分を取り戻す旅へ

ウツと甘えの境界線ってなに?

仕事に行きたくない、そんなことって社会人の誰しもが感じることじゃないですか。だから、そういう感情が出てくるってことにあまり「病気」感はなくて、疲れてんのかなぁとか仕事自体に問題があるんじゃないかなぁとか違うことをまずは疑ってかかるのが僕の中では普通だったんです。というか大体の人がそんなもんだと思います。

ウツは甘えではない

僕の親世代は働け頑張れ気合だの世界で生きてきた人たちだからそういう人たちに「もう頑張れない」と言っても、それって甘えじゃないのかとかそういう見方をされてしまうみたいです。僕がウツで会社を一時的に一週間休んでいるときに父親と大げんかの末、僕が我慢できなくなって大声を上げて「わかってねぇよ!」と言いながら号泣したのはまさに父親世代のそういった考え方もあるんじゃないかと。



僕自身もウツという病気が何者か、正直なところわかっていない部分がすごい多いんです。「無気力」「無関心」な状態が昼夜問わず続くわけで、これまたタダ単になんとなくやる気が起きないという状態なんじゃないか、甘えなんじゃないかという気持ちがぐるぐるします。だから主治医の先生に聞いたんですよ「このやる気が出ない、仕事に関心が持てないという状況って甘えなのか病気なのかわからない」って。

そしたら、「ただ単に甘えだったら薬出してないから」との一言。ああ、僕、病気だからこういう考え方になっちゃってるんだなぁと改めてわかったという部分もあるけど、まだわかってないですよ(笑)

今は一日1回薬を飲んでゆっくりと好きなことをして休むという療養期間なのですが、これまた何をしていいのかすごい悩みます。休んでいいよって言われていざ何しようって思っても出てこないんです。今まで頑張れ頑張れで仕事も家のことも誰からも文句言われないように頑張ってきた僕ってやりたいことをとにかく捨ててきてたんですよね。そしてそのやりたいことすら忘れてたというのが改めてわかったというかなんというか。本当は僕は何がやりたかったのか、見つめ直すいい機会になると思っています。

世の中は制約だらけじゃない?

これやっちゃダメ、あれやっちゃダメ、こうすべき、ああすべき、なにかすごい狭い枠の中に閉じ込められていたんじゃないかなと思ってます。

結婚して妻子がいるのに土日に遊びに行ってはダメとか。あと倫理観の問題はありますが、奥さん居るのに他の女の人と恋愛対象として付き合っちゃダメとか、世の中すごい制約だらけのような感じに見えるんです。僕には。

そういった枠をいい感じでぶっ壊しながら進んでいかないと僕は壊れちゃうんだなぁと改めて思ったわけです。極端な話、会社に勤めるということが僕にとって正解ではないかもしれないしね。

性格の問題

性格の問題もあるんでしょうね。

僕は人から褒められたい、評価されたい、うさお君ってすごいね!って褒められたいという人種なので正解と思われることを自分の意志とは真逆のことであってもやっちゃうというのがあると思っています。これってウツにならなければ気づけなかったことです。

営業の現場にいざ配属となって、「社内の人との親交を深めなさい、仕事がやりやすくなるから」「他の営業部の人間とも積極的に交流を」とか言われてもちょっとピンとこなくて、でもやったほうが良いんだろうと思ってどこかで飲み会があれば乗り気じゃなくても参加したりとか、そういうのを積み重ねてきたんじゃないかと。

確かに他の人の協力がなければ仕事は成り立たないというのもわかってるし、コミュニケーションが大切ということもよくわかっている。けどもうそれを本題にしてやりたくはなかったんですよね。まぁ、配属当初からすでに前の現場からの状態を引きずっててウツ気味だった説というのもありますがね(汗)。無理してコミュニケーション取る必要もないかなっていうのが僕の感覚です。必要ならとる。必要ないなら取らない。

価値観の問題

最近の若者はホニャララとかいう言葉は現代になっても昔と同じように繰り返されますが、それだけいろいろな選択肢やいろいろな価値感が時代とともに生まれているってことなんじゃないかと。

僕の価値観は親に作られたものだったり、友達・親友によって作られたものだったり、いろいろだと思うけどやっぱりベースは親だと思うんです。親の価値観、親だったらどう思うか、どう行動するかということが思考の根っこにあるんじゃないかと。それって拠り所なので自分の決断としては納得感があるんですよね。

(親だったらこういう結論を出すんだろうから)僕はこう決意しました!という妙に腑に落ちる感というかなんというか。

今回の手を上げての異動もそうだったなぁと。妻子を抱え、住宅ローンを抱え、奥さんは子供の対応で手一杯だからしばらくは働けないし、だから僕が収入のテーブルを上げてしっかり稼がなきゃ、そのためには日の当たる現場でバリバリ働いて上層部にも顔を売ってとにかく出世しないと!給与テーブルあげないと!という思いだったんでしょうね。何焦ってたんだろうね、ほんとにって思う瞬間が結構ありますよ。ほんと。

直近の仕事でプリセールスみたいなことが曲がりなりにもできていたからその経験も活かせる日のあたる現場ということで営業を選んだという自分の中では妙に腹落ちしてるけどそれって「選ばされてるよね?」って改めて思ったんですわ。プリセールスもやらされてきた中でそれをやらざるを得ないからとにかく生きるためにやっていたという感覚が心の奥底にあったんでしょうね。生きるための仕事、こうなってしまうと仕事って辛いですよね。僕も辛いです。

で、何が言いたかったのか?

というわけで、心の赴くままここまで書いてしまったのですが、ここで言いたかったのは

「やる気がでないのは病気だからなんだ、だから診断もらって薬出してもらってるなら安心してくださいね」

ってことだったんです。


僕みたいにクソ真面目なひとは「やる気がでないのはタダの甘え」と思ってガソリンが無いのに走ろうとするんです。栄養ドリンク飲んだり、心療内科の先生が処方してくれた頓服飲みながらとか。今回も頓服飲みながらだったら多分仕事できたと思います。

それなりに成果も残しつつ。でも今回それをあえてやらず、休みたいを主張しました。だって休みたいじゃないですか、病気なんだし(笑)。先生も仕事に支障出るなら休んでいいっていってるんだからいいんですよ。同僚の目や上司の目、会社からの評価とか今まではすごい気になってたけどそういうの全部どうでもいいや(笑)って。


自分を大切にしたい、ここですね。